■明善53会と名曲「なごり雪」

                                     昭和53年卒 傍示 

 

 聞いただけで当時の思い出が鮮やかに蘇る歌がある。口ずさめば目頭が熱くなる歌と言ってもいいかもしれない。多分、誰にもそんな青春ソングがあるだろう。昭和53(1978)年卒「53会」の仲間にとって、おそらくほぼ全員が等しく共感する歌がある。1974年、当時「かぐや姫」のメンバーだったシンガー・ソングライター伊勢正三さん(65)がアルバム「三階建の詩」に収録するために初めて作詞・作曲し、後にイルカさん(66)がシングルカットしてヒットした「なごり雪」である。卒業から40年近くを経てなお、思いを共有できる歌がある幸せを噛みしめている。

■    ■

 今年(2017年)1月15日、明善高校2年5組で一緒だった井手くん(小学館)と江島くん(日本製粉)に誘われ、東京国際フォーラム(東京都千代田区)に出かけた。イルカさんのデビュー45周年記念コンサートを楽しむためだ。ゲストは伊勢さんのほか、小椋佳さん(73)、小田和正さん(69)、南こうせつさん(68)、松山千春さん(61)、太田裕美さん(61)。これだけの豪華アーティストが集うコンサートに立ち会える幸運に感謝したが、そのオープニング曲が「なごり雪」だった。

 ♯汽車を待つ君の横で僕は時計を気にしてる/季節はずれの雪が降ってる/東京で見る雪はこれが最後ねと/さみしそうに君がつぶやく…

 イルカさんと伊勢さん、南さん。3人のハーモニーが客席を埋めた5000人を魅了する。隣を見ると井手くんが早くも感極まっている。江島くんは顔を隠すためか、手のひらを頬に添えている。若い頃より確実に涙腺が緩くなったと実感する。見てはいけないものを見てしまった罪悪感にかられて正面をむき直し、ステージに集中した。

イルカさんと豪華ゲストによる名曲が続く。「神田川」「22歳の別れ」「あの唄はもう唄わないのですか」「君と歩いた青春」「言葉にできない」「木綿のハンカチーフ」…。客席のいたるところで涙をぬぐう人がいる。客層の大半は私たちと同世代か、それ以上。まさに当時の思い出が一緒に蘇る青春ソングの数々に誰もが酔いしれていた。

 その挙げ句のアンコール。私たち3人は、そのサプライズ選曲にまた感嘆の声を挙げた。満場の拍手の中、イルカさんは1人でステージに立ち、今度はギターの弾き語りで再び「なごり雪」を歌ったのだ。

♯今、春が来て君はきれいになった/去年よりずっときれいになった…

 「悪い」と思いながらもまた、井手くんと江島くんの横顔をのぞき見た。唇を真一文字に結び、涙をこぼさないようにステージに集中する2人を見ながら「いい顔だなあ」と思った。そして、「なごり雪」を私たち53会の思い出の歌にしてくれた同級生、末安有子さんの顔を思い浮かべていた。

■    ■

 高校2年生だった1977年2月。私たちは修学旅行で長野県の志賀高原に行った。明善高校が初めて採用したスキー旅行だった。日程は5泊6日。行きと帰りは寝台特急「さくら」での車中泊。3泊した雪山のホテルで、放送部員だった末安さんは館内での放送係を引き受け、起床や食事、集合などを知らせる事務連絡後のBGMとして「なごり雪」を流した。ホテルに滞在した4日間、彼女はこの歌だけを流し続けた。

 「大人になって修学旅行を思い出すとき、記憶とともに耳の奥で流れる歌があるといいなって思ってね。雪山だし、雪にまつわる歌で、みんなが好きで、歌いやすい歌は何かなって、友だち何人かと話し合って選んだのが『なごり雪』だったのね」

 卒業後しばらくして末安さん本人から聞いた話だ。視覚によって潜在意識としてすり込む「サブリミナル効果」ではないが、彼女は17歳にして「すり込み効果」を熟知していたのだ。彼女の思惑通り、「なごり雪」は修学旅行の記憶とともに53会の一人ひとりに確実にすり込まれている。

■    ■

 今年の正月、私が勤務する西日本新聞編集局は元日に配布する別刷り特集のテーマに「国鉄民営化30周年」を選び、トップページに伊勢さんが書き下ろしたエッセーを掲載した。「なごり雪」は東京駅からブルートレインで故郷に帰る恋人との別れを描いたラブソング。伊勢さんがその曲想をふくらませながら思い描いていたのは故郷・大分県津久見市の津久見駅だったことを綴った。

 「若き日、僕が旅立ったホームがある。線路に落ちるその雪は時を経て『なごり雪』になった。そこはJR日豊線の津久見駅…」「今こそどこか九州のローカル線の駅に降り立てば、また、ふと唄が生まれる気がする」

 大分市で寮生活を送った大分舞鶴高校時代、実家に帰る度に乗り降りした場所。友を見送り、やがて自身も旅立った起点。津久見と東京、2つの駅にまつわる出会いと別れ、愛惜と悔悟、巣立ち。それらを乗せて動きだす長距離列車。伊勢さんの原体験を基に物語が紡ぎだされ、歌となった「なごり雪」は今も世代を超えて愛されて続けている。

 その津久見駅には2010年3月、「なごり雪」の歌詞を刻んだ石碑が建立された。列車がホームに入る前には曲のメロディーが流れる。発表から40年以上を経た今も故郷が「なごり雪」を語り継いでいる。

 かたや、私たちに「なごり雪」をすり込んでくれた末安さんは2015年8月5日、乳がんのため55歳でこの世を去った。2度と一緒に修学旅行の思い出を語り合うことはできないが、53会の面々が生きている限り、私たちの記憶の中で末安さんは「なごり雪」とともに生き続ける。

                            (おわり)